結局どう生きても地獄なのかもしれないなあって

オーディション番組0年0組では『地獄へようこそ』がキーワードになってる。オーディションの選ぶ側であるアヴちゃん先生も『表現する仕事は地獄ですよ』って言ってる。そんなオーディション番組で選ばれて結成されたアーティスト、龍宮城は表現する仕事なので、アヴちゃんが言ってた『地獄へようこそ』はオーディション番組ではなく、その先もずっとずっと続いていく地獄で、彼らは今も地獄にいるのだなあ、と思う。でも7人なのはアヴちゃん先生のやさしさだと思っていて、彼らはライバルでもあるけど友人でもあるので、7人なら地獄も大丈夫だね、と思いながら彼らがわちゃわちゃする番組を眺めている。

 

その一方でアヴちゃんは表現する仕事以外でも地獄を抱えているんじゃないかと思っていて、おこがましいかもしれないけど、私も多分、アヴちゃんと同じ地獄のはしっこにいる、たぶん。別に性別違和はないんだけど、私は自分も『どちらでもない』でありたいし、あなたにも『どちらでもない』でいてほしい。そして『特定の性だから』みたいなことがないでほしい。女性だから男性だからその表現はNGじゃなくてどの性でもその表現ってNGだよね?であってほしい。幸いにも私がやっているエンジニアという職業は性別というものの概念がとても薄い仕事なので日常ではあまり性別という概念が嫌と感じる時はないのだが、たまにネットとか見てると性別って概念がすごく嫌だなあと思う。それが時々苦しいと感じる。

そんな私が描くものは性別の概念が曖昧で、たぶんそれは普通ではないのだと思う。あまりそれについて言及しないようにしているけれど、普通ではないことが苦しいと感じる時がある。でもなんかそれを表現することを止めてはいけないのではないか、という気持ちもある。

多分私が『わたし』である以上どう生きたって地獄なのだと思う。多分そういう地獄にいる人はたくさんいて、私以上に色んなことを言われてきて、それでも立ってるから勇気をもらえるのだろうなと思う。どうしてそこに立っていられるの?とも思う。でも、たぶん、『わたし』を大事にするってそういうことなのかもなと思う。自分を大事にするってダラけたり好きなことしたりも大事だけど、自分のジェンダーを受け容れてあげること、それを恐れないことも大事で、わたしがわたしに抱えてる自己否定感はそれを受容しない限り消えないのかもな、と思う。

 

わたしはなんか、『波風立てるより黙ってた方がいい』と思っちゃうタイプで、今まで色んなことを『黙ってやり過ごしてた』んだけど、黙ってやり過ごしたことが自分をいっぱい傷つけてるんだなあって気づいて、なんかちゃんと自分とお話しないといけないってこういうことなんだなーと思う。

 

っていうことをね、3日くらいなんかしょげたり立ち直ったりしてたと思うんだけどね、思ったわけよ。推しの動画3つくらい見たら元気出た。推し、偉大。

二兎追っててやっぱひとつにしぼろかなってちょっと思ってたけど『二兎追わないとはじまんなくない???』ってアヴちゃん先生が言ってたから自分のやりたいことにもうちょっと欲張りになってみようと思う。やらない理由やれない理由進めない理由進まない理由ばっか探してたけど、足を前に出せばどっちかには進めるんだよな。

 

タイトル先に書いたので回収しそびれたんだけどつまりに『ジェンダー観的にどう生きても結局地獄しか待ってないんだからどうせなら爪痕残していこうぜ』ってことが書きたいんでした。おわり。おやすみ。